こんにちは、ぷんおです。
2023年5月、北朝鮮の海に係留されたいた『海金剛(へぐむがん)ホテル』(韓国の施設)が完全撤去されてしまいました。
韓国企業が南北の観光活性化のため、北朝鮮で開業したこのホテル。
これまで様々な国を渡って北朝鮮にやってきた紆余曲折をまとめてみました。
- オーストラリア時代(1988〜1989年)
- ベトナム時代(1989〜1997年)
- 北朝鮮時代(1998〜2008年)
- 韓国の施設が気に入らない金正恩
- 調査を終えての感想
- ついに完全撤去された『海金剛ホテル』
オーストラリア時代(1988〜1989年)
『ジョン・ブリュワーフローティングホテル』として開業
オーストラリア東海岸のタウンズビルから約70km離れたジョンブルーワーリーフ海上に浮かぶの5つ星ホテルとして開業。
《施設概要》
地上7階建て、客詞部分5階建て、総客室約200室(定員3)、ディスコ、バー×2、レストラン×2、図書室、ウェイトリフティングルーム、サウナ、ヘリポート、テニスコート、50席の水中展望台
《年表》
[1986年]シンガポールの造船所で建設
[1987年]予定より半年遅れで完成。 実際に納められたのは1988年1月。 到着サイクロンに見舞われ、更に2か月間営業延期。
[1988年]3月にようやく開業。繁忙期を逃してしまい大損失の末一年足らずで閉業。
『フォーシーズンズ・バリアリーフ・リゾート』として営業
1989年にベトナムに移るまで『フォーシーズン』ブランドで営業。
ベトナム時代(1989〜1997年)
『サイゴンフローティングホテル』として開業
1989年、日本の開発会社「EIEインターナショナル」(社長は五輪汚職で逮捕された 電通元専務 高橋治之の弟。後に事実上の破産)が購入し、その後ベトナム・ホーチミン市のサイゴン川に移転。宿泊客の人気を集め、1997年にかけて営業。
経営悪化で韓国の現代グループに約1,800万(約19億3000万円)ドルで売却。
北朝鮮時代(1998〜2008年)
『海金剛(へぐむがん)ホテル』として開業
金剛山開発を行う現代峨山は、シンガポールに持ち込み修理の後、オーストラリアから約1万4000kmの旅を経て、北朝鮮の金剛山観光地区付近の『長箭(ちゃんじょん)港』にホテルを係留。
2000年、南北融和ムードを受け韓国人観光客中心のホテルとして『海金剛(へぐむがん)ホテル』(호텔해금강/Hotel Haegeumgang)として開業し、10年後の2008年まで営業。(閉鎖の詳細は後述)
韓国の施設が気に入らない金正恩
このホテルの話、ピンとこない人も、この画像で「あぁ、これか」とお気づきいただけるのではないかと思います。
1998年、金大中政権が発足し、韓国からの観光客が増加。現代グループ(創業者の鄭周永が北朝鮮出身)が開発を手掛けた金剛山観光地区。
2008年の北朝鮮兵士による「韓国人観光客射殺事件」をきっかけに韓国側が観光ツアーを停止して以後、前述の『海金剛ホテル』をはじめ各施設は手つかずのまま。
金正恩は2021年の演説において、海金剛ホテルを含めた韓国側の施設の撤去、それに代わり北朝鮮スタイルの建造物の建築や観光地の開発などの課題を呈し、現在韓国関連の施設である 離散家族面会所、金剛山ホテル、温井閣、高城港、文化会館、金剛山玉流館、金剛ペンションタウン、九龍村、温泉ビレッジ、第2温廷閣、高城港海鮮料理店、高城港ゴルフ場、高城港出入国事務所などがリスト入りしています。
調査を終えての感想
このフローティングホテル、てっきり北朝鮮で建造されたものと思っていたのですが、紆余曲折の後、様々な思いを乗せて北朝鮮の港に係留されていたということを知り、色々と考えてしまいました。
これまで何度か融和ムードがあり、そのたびに拉致被害者を奪還できると期待をよせていたのですが、それが叶わぬまま現在に至ります。
ついに完全撤去された『海金剛ホテル』
(2023年5月7日更新)
2022年3月に解体を開始したニュース報じられてから約一年。
ついに完全撤去されたことが衛星写真で確認されました。
南北の観光活性化のために韓国企業が開業してから約23年間。
この間、何度も南北問題が前に進みそうなチャンスを見てきましたが、関係性は悪化するばかりでした。
金剛山観光を楽しんでいた韓国人観光客、平壌オリンピックの応援美女軍団、トランプ元米国大統領と金正恩の握手。
あの光景はなんだったのでしょう。
【参考】