日感アルダ

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からゆきさん映画『サンダカン八番娼館 望郷』あらすじ考察(時代背景まとめ ネタバレ)

こんにちは。最近1960〜70年代の日本映画をよく観ているぷんおです。

本日はAmazon プライムビデオで観た『サンダカン八番娼館』(1974年)の話です。

あらすじ

女性史研究家の三谷圭子(栗原小巻)は、日本の海外売春婦「からゆきさん」の調査研究のため、一番渡航者が多いと言われた島原天草を訪れるが、現地の人々の口は固く閉ざされていた。

諦めかけていたところ、からゆきさんと思しき老婆サキ(田中絹代)と出会い、ひょんなことから家へ招かれることとなる。

よそ者が来た雰囲気に気づき、近所のお婆たちが様子を見にやってくる。

ここでサキは圭子のことを「せがれの嫁御(よめご)」と自慢げに紹介し、圭子はその話にうまくあわせ嫁を演じる。

1ヶ月後、研究取材のことを伏せてサキの元を訪れた圭子。

サキは圭子の腹打ちを探ることもなく彼女を置いてやる。

そして2人の生活がはじまり一週間ほど経ったある夜、サキは昔の話をし始める。

からゆきさんとは?

からゆきさん(唐行きさん)。江戸末期から明治時代後半、家が貧困のため海外出稼ぎに出た多くの女性たちのこと指す。
ほぼほばが、女衒を通し本人の了承なく売られた。
からゆきさんとは - コトバンク

あらすじ続き〜おサキの話

極貧農家で育ったサキ。

1907年(明治40年)父の死後、生活は更に苦しくなり、母は再婚、兄は炭鉱へと一家は貧しさのために離れざるを得なくなる。

外国へ出稼ぎに行くことになったサキは、世界各国の船が寄港する南洋のボルネオ島の港町サンダカン(当時英国領、人口2万のうち日本人100人)へ到着する。

(前金300円で契約。受取人は兄。当時1円=約1,090円なので約37万)

サンダカンには日本人が経営する女郎屋が9軒あり、サキはその8番目の八番館で下働きとして働くことになる。

ーーー
1914年(大正3年)夏。館主の太郎造とその女房から客を取るよう言われ抵抗するが、渡航後1年間でサキにかかった金は前金の300円を遥かに超えた2千円。

サキは借銭を返し国へ帰ることを夢見て必死で客を取る。
ーーー
1926年(昭和元年)大正から昭和になり、国力を増す日本。

この頃からからゆきさん(婦女子人身売買)が世界で問題視されはじめるようになる。

太郎造の死後、八番館の経営はおキクの手に渡る。
ーーー
1930年

娼館の立ち位置はますます目障りで悪しきものとなっていく。

3年前まで単なる女衒であった余三郎(前科者でおキクが面倒を見てやっていたような底辺人間)が、南洋開発功労者と商売を成功させ勲章を胸につける時代となる。

国辱扱いにキレ、おキク倒れ死去。
ーーー
1931年(昭和6年)サキ帰国。

天草に帰ってきたが、兄夫婦は隣近所への体裁とサキの送金で建てた家を取られはしないかと陰で心配。

絶望したサキは、満州へと渡ることにする。
ーーー
満州で鞄屋の男と所帯を持ち、長男ゆうじを授かる。
戦争(満州事変 1931年9月18日〜1932年2月18日)で財産消滅。
引き上げる最中に亭主亡くなる。
ゆうじと京都で暮らいたが、結婚を期にサキは天草へ返される(体裁が悪く邪魔者扱い)。

それから9年にもなるが、ゆうじ夫婦は現金書留を送ってくるのみ。

結果どうなったか

圭子は取材をするにあたり、現地で記録すると怪しまれるので、都度サキの話の内容をまとめ東京の夫へ郵送するという計画を立て潜入生活というのがこの物語の前提である。

ーーー

滞在3週間を迎えた頃、村人たちが圭子が調べ物のために滞在しているとの疑惑を持ち始めサキを責めだす。

圭子はサキに隠し事をしていたことを詫び、この話を書いて多くの人々にしってほしかったと本当の理由を明かす。

サキもそのことに薄々気づいていており、それ(書籍化)を許す。

ーーー

その数年後、圭子はサンダカンに調査に訪れ、山奥に眠るサキから聞いた娼婦墓地を見つけ出す。

お菊の墓は日本に背を向けて焼け立っていた。

<終>

原作本はこちら

著者は山崎朋子(故人)。
おサキさんから聞いた話を夫に郵送する際の著者の高揚感(周りにバレないか?)のような話と両立てで、読みながらこちらもおサキさんを騙し裏切っている気持ちになった記憶があります。

 

 

ぷんおMEMO

からゆきさんのいた国々

シンガポール、中国、香港、フィリピン、ボルネオ、タイ、インドネシア、オーストラリアなどアジア各地。 シベリア、満州、ハワイ、北米(カルフォルニア)、アフリカ(ザンジバル)など世界各国にいたとのこと。

明治維新以降の富国強兵、殖産興業政策、大陸進出や南洋開発を考えると、人流に伴い婦女子売買が世界に広まったのも納得ではある。

ドラマ『おしん』との比較

おしん(あらすじ⇒おしん - Wikipedia)は、山形の貧しい小作の娘。明治40年(1907年)数えで7歳の頃とおサキと同年代と類似点があるが、おサキの住む土地は農業に不向きな火山灰地であることと奉公先が近隣にないというのが圧倒的な違い。(おしんの仕事が飯炊きや子守で済まされないのも言わずもがな)

参考までに天草からサンダカンの位置がわかる地図。
(実際には航路で台湾香港経由)

人口の9割が貧困農家だった江戸末期のことや「出島」や「唐人屋敷」の近さを考えると、野麦峠に出稼ぐよりも、海外に行くことは自然だったのかもしれない。

👇サンダカンの位置。経由地の台湾を考える北海道に行くより近い感。

登場人物

サキの母兄は省略。

◆三谷圭子栗原小巻
主人公。女性史研究科。東京に夫と娘。

◆北川サキ(娘時代:高橋洋子、晩年:田中絹代
呼称は「おサキ」。話の前後から売られた年齢は約7歳、おサキ婆さんは約70歳と推定。

竹内秀夫田中健
サキの事実上初恋。ゴム畑勤務。
長野の山奥出身。養蚕業が生業の地であったが桑畑が霜で壊滅。そのため母親服毒自殺。役場の勧めでシンガポールに出稼ぎ移民。
恋仲状態にはなるが「銭をためて迎えにくるから」の話しも消えマレーシア人の親方の娘と結婚。

◆おキク(水の江滝子)
南洋では知らない人はいないと言われた一目置かれた娼婦(天草生まれ)。
サンダカンに自分と居留民の墓を立て残し現地に骨を埋めることとなる。
「国へ帰ったらろくなことはなか」「帰ったらいかん」とサキたち娼婦に言葉を残す。(サキは帰国してこの言葉の重みを知ることになる)

※おキクは、横浜でイギリス人と結婚していい暮らしぶりをしていたようであるが、当時横浜には「港崎遊郭」(外国人向け)があり何度か焼失移転している。それが元で南洋に来たのかもしれない。

ぷんおの感想

2023年9月25日更新

この記事を書いて一年が経ちました。
久しぶりにWikipediaを開くと、私が細かく書かなくてもよいくらい情報が充実していたのでこれ以上私が細かく書く必要がないなと思いました。

また新しい思いがあったら追記していきたいと思います。

からゆきさん - Wikipedia
Karayuki-san - Wikipedia

👇お隣の韓国の「バッカスおばさん」の話。朝鮮戦争後貧しさで路上に立たざるを得なかった女性たちが高齢化しても今もなお存在しますが、かなりマイルドになっている話です。